表現者としての菊池時長について
はじめまして。cosmic‼︎寄りのDD箱推し、なつみと申します。こずみっくの推しは、うみきくでございます。どちらも推しに対する熱量、愛情量は50:50なんですが、今日は私がMPになったきっかけでもある、きくちさんについて書こうかと思っています。
まず、このブログのタイトルの通り、きくちょーというアイドルの表現力についてこの記事では書こうと思っているので、きくちさんについて一般的かつ入門的な知識を獲得せんとしている方には、少々的外れになる可能性を事前にお断りさせていただきたいと思います。
私は、きくちさんの表現者としてのポテンシャルに惹かれてきくち推しMPになりました。同時に、彼のシェアハウスの住人であるうみねこと関係性の崇高さに触発され、うみきく推しMPになり、今に至ったわけです。こういった経緯があるので、今回はきくちさんの表現力について書こうと思うわけです。
今回は、主に3つの楽曲から表現者としてのきくちさんについてご紹介したいと思います。
1曲目は、庭の樹。オリジナルはMeseMoa.の楽曲をcosmic‼︎がカバーしたもので、2019年8月のDDDPにて披露されました。2曲目はニア。つるてぃーさんと2人での踊ってみた動画で、定期公演でも何度か披露したそう。そして3曲目はハイドアンドシーク。これはcosmic‼︎東名阪ツアー、冒険〜Let’s go to the ダンジョン〜の愛知公演の2部のきくちさんソロで披露された演目です。
1曲目の庭の樹について、私のお気に入りの部分のスクリーンショットと共にご覧頂きたいと思います。
ピントが他メンバーに合っているのに、きくちさんについて解説するということには、目を瞑って頂けると助かります…
【cosmic!! - 庭の樹 (MeseMoa.) 】 DD Dance Party2019より
まず1枚目。2Aメロの「最後まで寄り添ってくれるかい」の部分です。
ご覧下さい。この表情と爪の先まで統制された指先の美しさ。人生というものの有限性をここまで雄弁に物語る表情はきっとない。
2枚目。落ちサビの前、とみーさんの台詞の「綺麗だった。そう、綺麗だった。」の部分です。
伸ばされた腕が徐々に降ろされていく振りなんですが、この部分は、掴もうと手を伸ばしても掴めない、そして掴めなかったそれを繋ぎ止めることは、きっと未来永劫にできない。そんな儚さを秘めた指先までの美しさなんです。
そして3枚目。最後の「もう二度と」の部分です。
私はここのきくちさんほど、世界で美しいものを知らない。永遠に失われてしまった「君」とは、もう二度と同じ時を過ごすことはできない。そんな残酷な現実を理解はしている。でもまだ納得はできない。まだほんのわずかな希望に縋って手を差し出す。仮にもし、ここで曲が終わらないなら、次の瞬間のきくちさんはきっと受け入れ難い現実を突きつけられて涙を流しているに違いない。そんな表情だと勝手に思っているんです。
私は、正直歌詞厨でも解釈厨でもありません。それでも、こんな私に込められた意図を読み取らんとさせる、そこから端を発して曲全体の解釈をしようとさせる。それはきくちさんのパフォーマンスが持つ一種の魔力、重力、言ってみればある種の強制力ですらあるのです。
おまけ。間奏のセリフ部分です。こういうエモーショナルな曲で感情が高まると、きくちさんは眉が少しハの字になるんです。
余談になります。わたしは少しだけ演劇と演出をしていた時期がありました。そこで気づいたことは、人がある瞬間に抱く感情が喜怒哀楽のいずれか単一であることは実際は有り得ない、という考えてみれば極めて当たり前の事でした。さらにいうならば、この喜怒哀楽という4つの要素も非常にわかりやすく単純化されたものであって、実際の感情はグラデーションのように多様なのです。
何が言いたいかと申しますと、きくちさんは感情の多様性を捨象せずに取り出し、表現することに非常に長けているのです。これは、感受性の極めて豊かな人にしかできないことだと私は信じています。
長くなりました。
2曲目のニアについてです。
特に、私はニアの落ちサビの少し前からがお気に入りなので、それ以降に焦点を絞ろうかと思っています。
1枚目。「キミが居るこの地球を忘れたくはないんだよ」の部分。
ご覧になって下さい。この悲痛な訴えかけるような表情。大切なものに気づくのはいつだって失った後。そんな普遍的真理をこの一瞬で物語れるのは、きっときくちさんだけ。表情に込められた情報量が多い。
2枚目。
アウトロの部分。
この美しい指先。もうつるてぃーさんと一緒にいられる時間が長くはないことに気づいている。去ろうとするつるてぃーさんを留めたいけれど、きっと意味のないことだとわかっているんです。隣にいるつるてぃーさんがいずれ消える幻影だということも。
最後の少し前の後ろ姿。後ろ姿がこんなに雄弁に語ることってあったんですね。初めて感じたかもしれない。
ニアは、私は個人的に、人間が生まれてから感情を獲得し、初めて得た大切な人を失うまでの過程(それはいってみれば半生そのものですが)、それをテープを早回しするように観せられている、と思っています。ぜひ何度も観ていただきたいです。
3曲目。ハイドアンドシークについて。
この曲は、私が解釈を先に語ってしまうことが少し憚られます。それは、きくちさんがハイドアンドシークを踊ってみた動画にするご予定だから、ということもあります。ですので、控えめに要点だけ語るとするならば、こうです。
きくちさんのハイドアンドシークは、愛されたいという欲求が、愛したいという思いやりに変化する過程です。少なくとも、私はきくちさんのソロを観て、そう思いました。これ以上語ると、この記事を読んでくださっている方々が、新鮮な気持ちできくちさんのハイドアンドシークを観れなくなる気がするので、ここら辺で留めておきたいと思います。
大分長くなってしまいました。
3曲を通してきくちさんの表現者としての魅力について、言葉足らずながらご紹介させて頂きました。この記事を読んでくださった方が、きくちさんとcosmic‼︎に興味を持って頂けたら、とても嬉しいです。
また気が向いたらブログ更新しようかと思っています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!!!